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祇園祭のお稚児さんの歴代は?稚児は生贄だった?祭りの歴史を徹底解説!

国内

 

祇園祭の歴代お稚児さんの紹介と、

その選出方法、お稚児さんの役割や

応募の費用を紹介。

 

祇園祭の歴代の稚児は

むかし生贄として神に

捧げられていたという伝説は本当か!?

 

神社の歴史を紐解いて

稚児の神様への生贄について解説する。

 

 

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祇園祭のお稚児さんの歴代をご紹介!歴代の選出方法や役割、費用をご紹介

 

祇園祭のお稚児さん…

過去5年の歴代お稚児さんを紹介!!

 

 

・2015年(平成)

内藤 颯大(ないとうそうだい)君 9歳

1971年にはお父さんもお稚児さんをつとめた。

 

・2016年(平成27)

粂田龍志(くめだりゅうしん)君 10歳

 

稚児の助手、禿(かむろ)には

龍志君の弟政宗(まさむね)君が選ばれた。

 

・2017年(平成28)

林賢人(はやしけんと)君 9歳

川崎機械工業のご子息。

 

・2018年(平成29)

小林勇太朗(こばやしゆうたろう)君 8歳

お父さんは京都の有名保育園の園長先生。

 

・2019年(平成30)

中西望海(なかにしのぞみ)君 10歳

 

京菓子「鼓月」のご子息。

1981年に父の英貴さんもお稚児さんをつとめた。

 

 

毎年地元の実力者や会社社長の息子など

経済的に豊かな家庭の子供が

選ばれていることがわかる。

 

親子2代にわたっての大役という家もあり、

お稚児さんの選出には

 

経済的に豊かであることと

家柄を重視していることがうかがえる。

 

 

選出方法とその役割

 

お稚児さんの選出方法は一般公募でなく、

選定によってえらばれる。

 

選定方法は「神事にかかわること」として

ベールに包まれている。

 

その多くは地元の資産家や

有力な自営業者の家系から

8~10歳の男の子が選ばれる。

 

 

お稚児さんの役割は、

簡単に言うと祇園祭の神の使いだ。

 

祇園祭は、稚児がしめ縄を切り落とし

山鉾をスタートするが、これは神界と人間界の

結界を太刀で切り落とすという需要な役目である。

 

とても華やかのその役割だが、

祇園祭の儀式は祇園際の2週間前から始まっており、

 

儀式の間は、女性に触れることや

手助けされることを禁じられ、

地面に足をつけることもできない。

 

そのため移動の際には大人の男性が担いで移動する。

 

 

一般の応募で募集は?…その費用は?

祇園祭のお稚児さんの選定では

一般の応募の募集をしていないがそれには理由がある。

 

それはお金がかかるから。

稚児の家には神棚を設置して

儀式を執り行うための広い座敷が必要だ。

 

また、父親は羽織袴を、

母親は紋付の着物を新調しないといけない。

 

関係者の飲食・接待・ハイヤーの手配も

稚児の家が負担しなければならず、

少なくとも2000万円は必要だ。

 

 

祇園祭の稚児の歴代は?稚児はむかし生贄だったのか?神社の歴史を紐解く神様としての役割?

 

祇園祭の稚児…歴代稚児のその後は?

 

家柄や、資産家であることが

条件となる稚児はその後、

京都各界の中心的な存在となる。

 

こういう見方をすると、

稚児に選出されることは

将来を約束されたともいえるので、

 

そういう意味では

大人の事情が見え隠れするような気もする。

 

 

祇園祭の稚児は生贄だった!?

神社の歴史と神様としての役割

 

祇園祭の始まりは、もともと疫病や

飢饉の流行は怨霊の祟りであり、

それを鎮めるという目的であった。

 

子供には神霊が宿るとされ、

子供は神の化身として

怨霊を鎮める役割を担っていた。

 

そのため祇園祭の際には、

子供を神に捧げる生贄としてではなく、

 

人間界に降り立った神の化身として

丁重にもてなした。

 

 

まとめ

 

・お稚児さんは資産家や

有力者の中から非公表で選出される。

 

・お稚児さんの家は家柄と

経済的に豊かでないと選出されない。

 

その理由は家が2000万円以上を負担し負ければな 

らないからだ。

 

・お稚児さんには8歳~10歳までの

男の子が選出される。

 

・稚児の役目は神の使いとして

神界と人間界の結界を刀で断ち切ること。

 

・祇園祭の前の儀式の期間中は

地面に足をつけることが許されず、

移動のときは大人が稚児を担ぐ。

 

また、女性が稚児の身の回りの

世話をすることを禁じ、

女性との接触は一切できない。

 

・稚児は神の化身とされ

昔から丁重にもてなされてきた。

生贄ではなかった。

 

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